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愉しい歴史と悲しい歴史。

 前回の記事で触れた旅行中にこれ↓と、
IMG_9757.jpg 

これ↓と、
IMG_9818.jpg 

これ↓の
IMG_9756.jpg 

計3つの大王関連展に行きました。

先二つはパンフレットが欲しかったのですが、買ったらその場で倒れる重さだったので諦めました。
サンスーシーのなんて2冊もあるんですよ。
腕が引き千切れんばかりの重さになるのですよ。

商売熱心な新宮殿売店の兄ちゃんが「2冊セットなら特別割引だよ!普通の本屋でもこのパンフレットは買えるけど、割引は会場のここだけだよ!」と熱心に口説いてきましたが「amazooooon!」と叫んで断りました。



身内より「前回の記事、写真の解説が無いから分からん」と言われましたが、書くととても大変な長さになっちゃうのでそのうち別記事で触れるのを待っていてください。

と言いつつ続きの記事を書かなかったり、忘れるのが私なので、今書ける一つをご紹介。


IMG_0490.jpg 

こちらはプラハの聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂の壁です。
旅の同行者であったコアラが「ナチのリディツェ村大虐殺の例の教会がある!」と教えてくれ、地図を片手に引っ張って行ってくれました。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1942年ナチ支配下のチェコで、チェコ亡命政府(inイギリス)兵士によるナチのチェコトップ暗殺事件がありました。これに対し血の報復を決意したナチスはその暗殺にリディツェ村が関与していると決定し、一つの村を壊滅させました。村にいた15才以上の男性は全て銃殺され、残った女子供も強制収容所へ送られほぼ死亡。数名の村人は不在にしていたのですが、それも最終的には見つけ出され同様の行いをされました。

しかし、リディツェ村はこの暗殺計画と無関係だったと言われています(ナチはまともな証拠も無く虐殺を行いました。村の規模が報復を見せつけるためにちょうどよかったのではないかと考えられています。)。

この暗殺事件に本当に関与していた実行部隊の7名が匿われていたのがこの教会の地下でした。

彼らの潜伏先は最終的にナチを恐れた仲間の密告によって知られることとなり、SSに教会は取り囲まれ、銃撃戦の上3名が死亡。4名は自殺しました。

今この教会の地下には小さな展示室があり、ナチのチェコ支配〜暗殺〜リディツェ村〜部隊の最期までが詳しく解説されています。
そして展示室の奥にある扉を抜けると、彼らが過ごし、4名が自殺した地下室があります。
銃弾の痕、おそらくは血痕であろう黒いシミ、そして彼らの亡骸の写真。
言葉をなくす空間です。

これをやれる残虐性を持ったのも、止められる理性を持ち得るのも我々なのです。
だから目に焼き付けなければと思うのです。

有名な言葉ですが「歴史は繰り返され」ます。
出来事が勝手に繰り返されるのではないのです。人間が生きて、生まれ、世代が交代する折に先人の行いを忘れ繰り返すのだと私は思います。
文明社会は1000年前に比べ信じられない程進歩しましたが、根本的な人間の欲なんざ大して変わりません。
中世史や古代史の発表を聞いていても、「なるほどその時代でも考え方は一緒か」と思います。
持っているツール、思想の積み重ねが違うから異なるように見えるだけです。

でも人は欲をコントロールするすべをちょっとづつ学んでいます(それこそ積み重ねの成果です!)。
我々が「これは悲しく辛いことだ」と書き残せば、後の世代はそれを躊躇できます。
記録の無い経験は受け継がれないでしょう。

だから歴史は残されねばならぬし、学ばねばならないのだと思うのです。


各地にある強制収容所やこういった場所は出来るだけ見て回りたいと思っていますが、何度雰囲気に当てられも慣れません。でも行くのです。眼に焼くのです。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

チェコの亡命政府兵士はイギリス軍に軍事訓練をつけられていました。
これは後にアメリカが随分と似たことをしていたな。
そして随分と違う結果に至ったものなのだな、と私素人は素直に思うのでした。

ま、繰り返したというより軍事戦略の常套手段なのでしょうがね!



<ドイツ時間、8/17午前0:45頃追記>
たった今コアラよりメールあり。
今日は大王の命日だそうです。

いやー。本当によく知っているな。
旅行中に何度も聞かされてたのに、私もう忘れていたよ!


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[ 2012/08/17 07:12 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(3)

残っています。日常風景に同化して。

DSC01157.jpg
Q.(写真が横向いちゃっていますが)この建物なんだ?

散歩中、近所の住宅街で見つけました。

ヒント
DSC01159.jpg
別側面のアップ。














答:ブンカー

Bunkerとは... 1.(コンクリート製の)掩蔽壕(えんぺいごう)、[地下]待避壕:防空壕:[軍]トーチカ
(小学館独和大辞典より)

おそらくですが、簡単に取り壊すことも出来ないので、上に建物を足したり内装を整えたりして今日まで利用しているのでしょう。
側面に残されている銃弾跡(人間の顔並みの大きさなので「銃」ってレベルではないですが)が生々しいです。



こういう町中に残る戦争跡を見る度、当時の日本とドイツの国力の違いと言うか、都市の作りの違いと言うか、戦争の備えの違いと言うか、それが今日まで目につくことによる私たちと戦争の距離感の違いと言うか、まあ色々な物を感じます。


日本の場合、沖縄以外は空中からの攻撃が主な上、木造家屋は燃えてしまっているので今日まで目に見える形で残っている戦争跡というのは殆どないですよね。
原爆ドームの様に記念碑となっているものはあれど、銃弾跡が残っている建物が当たり前に町中に点在しているのというのは滅多に無い。どいつの場合、特に旧東ドイツに行くと、冷戦中に修理も取り壊しもされず放置され続けた建物が結構目につきます。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

DSC01161.jpg

この日はブンカー以外に不二子ちゃんと五右衛門も発見。
ハーロックとエメラルダ(だったよね?)もおります。ルパンと銭形さんの箱入りフィギュアもありましたが、写真に撮るのを忘れました。
ドイツで見るなんてな!

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−

そうそう。3本目の樹が育ちました。

1339261965_08280.jpg

過去2本に比べ、如何にも樹らしい樹の絵です。



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[ 2012/06/19 01:31 ] ドイツの歴史 | TB(1) | CM(1)

ちょっとだけですが、大王誕生日会の写真。

はい。ただいまです。
お世話になったS夫妻、どうもありがとうございました!
S君、カッテの頭蓋骨(レプリカ)と処刑に使われた刀は一見の価値有りです。
仕事が落ち着いたら行くべしだよ!
ケースに齧り付いて見ちゃったよ。

IMG_9298_convert_20120127220158.jpg
ポツダム映画博物館前。
大王関連行事の看板(?)がありました。

IMG_9314_convert_20120127220415.jpg
大王の誕生日パーティー。
クラブラウンジ形式で、大王全く関係ない。
バロック音楽とテクノDJのコラボって大王も吃驚だ。
せめてフルートを入れればいいのに。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

家に帰ったら小包が届いていた。
中に入っていたのは…

IMG_9323_convert_20120127222926.jpg

マッスルボディーのonちゃん!
日本の友達からのプレゼント。

IMG_9329_convert_20120127222958.jpg

朝起きたら雪が薄く積もっていた。


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[ 2012/01/27 22:58 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(3)

Happy Birthday Friedrich!

本日2012年1月24日はフリードリヒ大王の生誕300周年記念日です。

ってな訳で、今からちょっくらポツダムへ行ってお誕生会に参加してきます。

IMG_1884.jpg

IMG_1893.jpg


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[ 2012/01/24 16:19 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)

日普修好通商条約締結150周年記念切手を求めて。

本2011年は日本とプロイセンが修好通商条約を結んでから150周年に当たる記念年です。

それにちなんだ色々な催しが日独両国で行われているのですが、その一環で記念切手がこの2月に発行されるという話を小耳にはさみました。

「へー。不平等条約でも150年後には友好的なお祭りのベースとなるのねぇ。」と思いつつも、「これは手に入れなければ!」という妙な使命感に駆られ先日近所の郵便局でドイツ版を購入して参りました。


20110215-11.png 


その二つとはこちら↓(ドイツポストHPへ)。
レーゲンスブルク旧市街
奈良薬師寺


20110215-12.png 

「・・・え?これ?いやいやいや。」

20110215-13.png 

私「だってコレただ世界遺産をモチーフにした切手でプロイセンとは関係ないじゃないですか。
プロイセンと日本の修好通商条約締結150周年記念だよ。
レーゲンスブルクじゃなくてプロイセンの切手下さい。」
郵便局「これだって。プロイセン云々は知らんが、日本にちなんだデザインで今月売り出しってのはこれであってるよ。」


20110215-16.png 


 ・








ヴィルクリッヒ!?

このプロイセンのプの字も無いのが!?
しかもレーゲンスブルクって神聖ローマの帝国自由都市(永続的帝国議会の開催地)後にバイエルン!

20110215-14.png 

私「いやいやいや。日普修好通商条約よ。レーゲンスブルクはないだろう。これ間違いだって。レーゲンスブルクが栄えていた時代、日本ドイツと全く関わってないし。」
郵便局「・・・」
私「・・・」

20110215-15.png 


私が求めていたデザインは、なんかこうもっと鉄っぽいというか、黒っぽいというか、鷲があったりというか、鉄十字というか兎に角プロイセンっぽいのと明治っぽいのだったんだけどなぁ。
そしてこれただの世界遺産切手でこの150年間も関係ないよ。
条約締結当時の絵やその後の交流の経過を踏まえた図案は出来なかったのだろうか。

 --------------------

帰宅後、ネットでこの切手について検索(事前にしなかったというのが最初のミス)。
日本郵便HPでの今回のプロジェクトに関する記事を発見、

郵便事業株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 鍋倉眞一)は、万延元(1861)年に日本とドイツ(当時はプロイセン)との間で修好通商条約が締結され、外交関係が樹立してから来年で150周年を迎えることを記念して、特殊切手「日独交流150周年」および「ハードカバー切手帳(日独交流150周年)」を発行します。
この切手は、一部を両国共通のデザインとして、両国で共同発行します。


あーあ。
この世界遺産切手が「両国共通のデザイン」ので間違い無いみたいだ。
そうか。日普云々じゃなくって「日独交流150周年」なのね。だからプロイセンじゃなくても良いんだ。納得いかんがそうなったのね。
だったらせめてこの150年の中にモチーフを見いだしてくれれば良かったのに。
戦争の世紀と被るからタブーばかりだったのか?


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[ 2011/02/15 16:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)













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