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1989→2009:ベルリンの壁崩壊20周年(番外) ハノーファー編

前回でベルリンの壁崩壊20周年シリーズは終わった宣言を致しましたが、壁崩壊にちなんだエピソードを聞いたので、番外編で書き残しておこうと思います。




さて壁崩壊後に東ドイツの人々が繰り出し、西側の風を感じ、歓喜の声を上げたのは何もベルリンだけではありませんでした。
私が住むハノーファーも、多くの東ドイツ人が初めて「西ドイツ」の地を踏んだ都市でした。

下の冷戦時代の地図を見ていただけると分かるのですが、ハノーファー(Hannover)は東ドイツ(DDRと書かれたピンクの部分)に接するニーダーザクセン州 (Niedersachsen/緑色の部分)の第一の都市です。



100700_075_3.jpg
地図の引用元はこちら。クリックでもう少し大きく表示されます。



東に接しているという地理的状況から、ハノーファーは西ドイツの中で東の門番的な役割を担った都市でした。
東からの移民や亡命者の人が西での身分が確定されるまでの間滞在する施設も、ハノーファー周辺に多くあったそうです。

ハノーファーから西ベルリンへと続くアウトバーンは、西ドイツと飛び地となっている西ベルリンを結ぶ唯一の道でした。
今でもこのアウトバーン沿いには東ドイツの検問所跡や、スパイの人質交換が行われていた橋などが残っています。ドイツ人曰く、「一番景色のつまらないアウトバーン」だそうです。おそらく東ドイツの秘密保持のために、意図的にそういうところを走らされていたのでしょう。

そんなこんなの便の良さをを背景に、多くの東ドイツ市民がハノーファーにもやって来ました。
週末ともなると、道路には多くの東ドイツナンバーの車が駐車されていたそうです。


するとハノーファーの人々はー

  
berkinermauer-5.jpg

berkinermauer-6.jpg


ってことや


berkinermauer-7.jpg

berkinermauer-8.jpg


ってことをやっていたらしいです。


ちなみに何でバナナをプレゼントするのかというと、共産主義であった東ドイツでは輸入品というのが極端に制限されていたせいで、ドイツの気候で育てることの出来ないバナナは高級な果物であったから。

「バナナの皮で転ぶって本当か、西に来て真っ先に試した人がいる」というエピソードを聞いたことがありますが、これは本当でしょうか?
流石にそれはと思いつつ、やっていそうとも思う。




多分今度こそ 完

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[ 2009/11/26 00:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)

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