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おばあさんの故郷

ドイツのプールの多くが、朝も早よから開いております。(だいたい7時くらい?)
そしてその早い時間帯は、仕事をリタイヤされた以上の年齢の方々で賑わっているのです。
皆さんの目的は、言わずもがな健康の維持なのですが(日本と違い風呂に浸かる習慣がないところなので、長時間水中にいるだけでも体力を使い、運動した様に疲れるとのこと)、毎度同じ人々が同じ時間帯にやってくるので社交を愉しむ場としても機能しています。

その様な訳で、私のような新参者がやって来るとすぐ気付く。
そして、「見ない顔ね。何してるの?」と気さくに話しかけてきます。



そんなプールで出会ったおばあさんの話。

年の頃は70代半ば程かもう少し若いか位の方でしょうか。
「良いお天気ねぇ。大分暑くなったから、水が気持ちいいわねぇ。」と話しかけてきました。
天気の話や休暇の予定は世間話の定石です。この時もご多分に漏れずその様なことをなんとなしに話しておりました。

pool

更に続けて、「本当は車で行きたいんだけど、あまり治安がよくないので諦めたの。特にドイツ人に対してよい感情を持っていない人が多いから。うちの車ドイツ製だから、速攻でやられてしまうわ!」と。

私は「それは大変ですね。」としか言えませんでした。


彼女のような過去を持つ人は、この国には少なくありません。
私も、何人かの人を知っています。それでも、未だ気の利いた気軽な受け答えが出来ません。






二人の知人の話を思い出しました。

一人はポンメルン近辺のドイツ国境近くの町で生まれ育った人です。
初めて会った時にあちらから、「出身は何処なの?」と聞いてきたので、こちらからも「あなたの出身は?」と聞くと、「私に出身地はない。ドイツ人かも分からないから、その質問は好きじゃない」と答えてきました。
よく話を聞くと、彼女のご両親は東プロイセンの出身で、戦後このおばあさんと同じく強制移住をさせられたものの、少しでも故郷の近くにいたいと国境近くに住んでいるのだそうです。
彼女曰く、東プロイセンの辺りでは常に色々な国の人が住んでいた。支配、被支配の繰り返しで何人の国か何て考えたら、もう自分のアイデンティティが分からなくなる。それに加えて戦後の強制移住で土地すらも失い、血だけではなく地理的なルーツさえ分からない。



もう一人はこの春に大学を卒業した、私よりも若い子です。
彼女は3才までロシア人でした。
でも4才からドイツ人になりました。
というのも、彼女のおばあさんはロシア(今更ですが当時はソ連)になった旧ドイツ地域に戦後も留まり続けたので、戸籍の方が変わってロシア人になったのです。
彼女の家族が住んでいた地域は、特にドイツ系住民だけを集めた所だったのですが、社会主義の崩壊前後の時期は色々な民族が流れ込んできて、必然的にドイツ系がマイノリティーになり、治安も悪化し大変な状況だったと聞きました。
そのため、「旧ソ連内の元ドイツ人にはドイツ国籍を復帰させる」というドイツの法律(すみません。聞いた話なので、正式名称を存じません。)を頼りに、壁崩壊後一家でこちらに移住したというのです。
彼女のおばあさんはその生涯の殆どをロシア語圏で過ごしているので、ドイツ語は話せないそうです。でも、おばあさんがドイツの国籍を持っていたという理由で帰化できたという。
彼女は大変綺麗なドイツ語を話しますし、見た目もスラブ系ではないので、言われない限り彼女が3才までロシア人だったなんて分かりません。

「あの子は恵まれていると思う。」と、彼女を知る同僚が言いました。
「あの子のご両親は、あの子も、あの子のお兄さんもギムナジウムに行かせて、大学にも行かせた。壁崩壊後に国籍を復帰させた家族は沢山いるし、権利的には他のドイツ人と何ら変わらないはずなんだけど、現実には経済的格差が凄いんだ。あと、もう少し年齢が上で国籍を変えた子なんかでは、ドイツ語が話せなくて就職できないという話もよく聞く。」




ロシアによる強制移住の前には、ドイツによる強制移住があります。
その時にも故郷を失った人たちがいる上での話です。





あのおばあさん、もうシュレジエンに行って帰ってきている頃ではないでしょうか。

願わくば、おばあさんが穏かな時を故郷で過ごせましたように。





<補足>


シュレジエン(英語読みだと「シレジア」)は、シュレジエン戦争(18世紀半ば)以降プロイセン領となっていましたが、ドイツの二度の世界大戦敗北を経て、今日ではその大半がポーランド領となっている地域です。

Silesia_(Now).png
黄色い線の中は1871年のドイツ帝国におけるシレジア、青い線の中は1740年のプロイセンによる併合前のシュレジエンの範囲(引用:ウィキペディア


高校の世界史の授業で何度も耳にするあのシュレジエン。
同じように、天然資源に恵まれていたが故に大国間の争いの場所となった地域に、エルザス・ロートリンゲン(ドイツーフランス間、フランス語では「アルザス・ロレーヌ」)がありますね。

この二つ、テストに出ますよ。




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