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Weihnachtsmarkt始まる

今日11/29は第一アドベントです。
ドイツの年中行事の中で一番盛り上がるWeihnachtsmarkt(ヴァイナハトマルクト/ヴァイナハツマルクト(後者の方が良いですね)。クリスマス・マーケットのこと)シーズンの幕開けです。

アドベント—つまり待降節は、クリスマス前の約4週間に渡って続き、降誕祭(クリスマス)の準備期間に当てられます。
Weihnachtsmarktはその準備に必要な品を買いそろえる市なので、本来であればアドベントの開始と共に市が立てられるものです。
しかし今年のWeihnachtsmarktは、多くの都市では既に11/25から始まっていました。ハノーファーもそうです。

ある同僚曰く「Weihnachtsmarktが商業主義に走るなんて、何とも嘆かわしい!」とのこと。

去年のWeihnachtsmarktはどうだったか・・・。思い出せないわ。

しかし何やかんやの思惑があっても流石本場だなと思うのは、市のあちらこちらで寄付の受付を目に出来ることです。
子供達が演奏や合唱をして寄付を募っている光景もこの時期ならではです。


IMG_2622.jpg


これが終わったら春が来るまで特に行事がなくなるので、Weihnachtsmarktは楽しまないと損した気分になります。後は延々と薄暗い冬が続くという・・・ 
この点日本はなんやかんやで毎月のように四季を感じられるものがあって良いですよね。
ドイツはそうはいきません。
またイースターしかり、クリスマスしかり、そして国の祝祭日しかりで殆ど全てのものがキリスト教にちなんだものばかりで、「嗚呼、ここは本当に異国だわ。国教がある国なんだわ。」と思います。
文化の日、海の日なんてこちらの人からしたら想像だにできない祝日でしょうね。
私何ぞは、ただ花を愛でるだけの行事があっても良いじゃないの!月を愛でるだけの行事があっても良いじゃないの!と思うのです(はっ!もしかしてあの「鈴なりシュパーゲル」がドイツにとって花見にも等しいものなのでしょうか?)。

クリスマスの話題とずれますが、祝祭日も州ごとに違います。
カトリックを採っている州は宗教行事が多いので、プロテスタントの州より祝日が多くあります。
私のいるニーダー・ザクセンはプロテスタント州なので、祝日があまりない。
全キリスト教的な祝日と、元旦、メーデー、統一記念日位ですね。

「明日はキリストが天に昇った日だから祝日だよ」と言われると、「キリスト教徒でもないのに何で私もその日休むんだ?」などと詮無きことを考えちゃいます。


11/29 追記
文中の日付に誤りがあったので訂正しました。ご指摘有り難うございます。


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[ 2009/11/29 08:09 ] ドイツと季節の風物詩 | TB(0) | CM(1)

1989→2009:ベルリンの壁崩壊20周年(番外) ハノーファー編

前回でベルリンの壁崩壊20周年シリーズは終わった宣言を致しましたが、壁崩壊にちなんだエピソードを聞いたので、番外編で書き残しておこうと思います。




さて壁崩壊後に東ドイツの人々が繰り出し、西側の風を感じ、歓喜の声を上げたのは何もベルリンだけではありませんでした。
私が住むハノーファーも、多くの東ドイツ人が初めて「西ドイツ」の地を踏んだ都市でした。

下の冷戦時代の地図を見ていただけると分かるのですが、ハノーファー(Hannover)は東ドイツ(DDRと書かれたピンクの部分)に接するニーダーザクセン州 (Niedersachsen/緑色の部分)の第一の都市です。



100700_075_3.jpg
地図の引用元はこちら。クリックでもう少し大きく表示されます。



東に接しているという地理的状況から、ハノーファーは西ドイツの中で東の門番的な役割を担った都市でした。
東からの移民や亡命者の人が西での身分が確定されるまでの間滞在する施設も、ハノーファー周辺に多くあったそうです。

ハノーファーから西ベルリンへと続くアウトバーンは、西ドイツと飛び地となっている西ベルリンを結ぶ唯一の道でした。
今でもこのアウトバーン沿いには東ドイツの検問所跡や、スパイの人質交換が行われていた橋などが残っています。ドイツ人曰く、「一番景色のつまらないアウトバーン」だそうです。おそらく東ドイツの秘密保持のために、意図的にそういうところを走らされていたのでしょう。

そんなこんなの便の良さをを背景に、多くの東ドイツ市民がハノーファーにもやって来ました。
週末ともなると、道路には多くの東ドイツナンバーの車が駐車されていたそうです。


するとハノーファーの人々はー

  
berkinermauer-5.jpg

berkinermauer-6.jpg


ってことや


berkinermauer-7.jpg

berkinermauer-8.jpg


ってことをやっていたらしいです。


ちなみに何でバナナをプレゼントするのかというと、共産主義であった東ドイツでは輸入品というのが極端に制限されていたせいで、ドイツの気候で育てることの出来ないバナナは高級な果物であったから。

「バナナの皮で転ぶって本当か、西に来て真っ先に試した人がいる」というエピソードを聞いたことがありますが、これは本当でしょうか?
流石にそれはと思いつつ、やっていそうとも思う。




多分今度こそ 完

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[ 2009/11/26 00:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)

1989→2009:ベルリンの壁崩壊20周年(8) Wir sind das Volk! Die Mauer muss weg!

まずはこちらをご一読下さい。→その(1)その(2)その(3)その(4)その(5)その(6)その(7)

ベルリンの壁崩壊20周年式典、ようやくラストです。


気付いたら、ブランデンブルク門最前列に来てしまった私。


 091109ベルリンの壁16


何ですと。
門をくぐれないだけではなく、シュプレー川へも出ることが出来ないと仰るの?
西に広がるティーア・ガルテンは夜は危ない森よ。
北のポツダム広場は拓けているけど、そこまで迂回せねばならんと?
少し東にさえ行かせて貰えることが出来れば、簡単に地下鉄に乗れるのに!


091109ベルリンの壁17


不満は積もります。
すると端の方から・・・

091109ベルリンの壁18





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091109ベルリンの壁19

091109ベルリンの壁21


皆で、

Wir sind das Volk! 「我々が人民だ!」
Die Mauer muß weg! 「壁を取っ払え!」

のシュプレヒコール。

この二つの言葉は、DDRの民主化運動のスローガンだったものです。
「wir sind」は英語で言うところの「we are」に当たるもので、
Volkという単語には
1)民族、国民(nation)
2)(支配者に対する)民衆、人民
という二つの意味があります。

壁崩壊前、DDRの人々は国民の声に耳を傾けない上層部に対し、(2)の意味で以て「Wir sind das Volk!」と訴え戦いました。
人民あっての国。党の為の国じゃ無いんだぞ!というニュアンスを含む言い回しです。
人民議会と言いつつ全く人民議会じゃなかったですからね。

この別バージョンとして「Wir sind ein Volk!」というスローガンもあるのですが、こちらは壁崩壊後に謳われたものになります。
二つに分かれていたドイツが一つになるという気持ちを込めて、(1)の意味でVolkという単語が用いられているのです。

この微妙な違いは
das=英語の”the”
ein=英語の”a”
に表れています。


そんなスローガンを、壁崩壊を記念する行事にて、半分おふざけ、半分本気で訴える人々。


091109ベルリンの壁21
「お前さんVolkが違うでしょ」
なんて野暮なことは気にしないで下さい。


だって自由の祭典なのに、私たち八方ふさがりで自由に動けないんですもの。
この矛盾。如何してくれましょう。


運営委員会。ようやく動いた。

IMG.jpg

「お願いだから大人しく帰って!」
「ブーブーブー!(ブーイング)」




結局駄目か!



壁崩壊を感慨深く回想すると言うよりも、むしろ20年前のもどかしさを体感させてくれた20周年式典。
まさか今になって

「Wir sind das Volk! 」
「Die Mauer muß weg!」

なんて皆と一緒にやれるとは思わなかった。これは大変貴重な経験になりました。


その後は冷え切った体をグリューヴァインで暖め、おとなしく帰路につきました。
この日のグリューヴァインは最高に美味かったです。



最後に一つ。
ドイツのお巡りさん、揃いも揃って「上の命令だから!」と言うのは止めた方が良いと思う。




ベルリンの壁崩壊20周年式典シリーズ ようやく完
(今回のが書きたかったが為にここまで続いた)

番外編

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[ 2009/11/24 00:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)

1989→2009:ベルリンの壁崩壊20周年(7) 脱出編

まずはこちらをご一読下さい。→その(1)その(2)その(3)その(4)その(5)その(6)
あと少しで終わりますので、もうしばらくお付き合い下さい。




待ち焦がれた「ベルリンの壁」の崩壊。
そして空には花火が浮かびました。

IMG_2581.jpg

天候が悪かったので煙で直ぐに空がかすんでしまい残念でしたが、それでもその意義を考えると大変美しい花火であると思えました。





IMG_2598.jpg

IMG_2605.jpg


さて壁の崩壊を見届けた後要人が退場し、我々見物客も帰路につきました。
そして思う。

「壁が開いた。折角だから象徴であるブランデンブルク門を通り抜けて家路につきたい!」

世界を駆け抜けた、人々が壁の上に立ち壊しているあの映像は、未だ私たちの眼に焼き付いています。
ここまで来たのだから最後まで感慨にふけりたい。
皆でゆるりと門に向かって歩を進めました・・・・・・のですが、またもやこの人の流れ、途中から二進も三進も動かなくなってしまったのです。
否応無しに、も再び人間サンドウィッチ(具)にならざるを得なくなる私。


091109ベルリンの壁12


嗚呼、親切なご婦人が居たものです。
彼女のおかげで窒息は免れました。

で、気付いたら、

091109ベルリンの壁13


ブランデンブルク門に押し寄せる人波の最前列にいました。


何と式典終了後もブランデンブルク門は絶賛封鎖中ではないですか。
少し待てば開くのかな?と少し様子を見ておりましたが、


091109ベルリンの壁14


少々困った状況に。


091109ベルリンの壁15


ごめんなさい。逃げます。貴方から逃げます。
スタッフのお姉さんも「警察にここのゲート開けるなって言われています。」って仰っていたので、もう門は諦めた方が宜しいかとも存じますし。
さようなら、おじさん!

と、駅への抜け道を探して彷徨うことしばし。
気付いたら・・・

IMG_2613.jpg


またもや人波の最前列に来てしまう。
しかも先ほどより門の正面に近い場所で、背中にかかる圧迫感が増しているよ。



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[ 2009/11/23 08:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)

1989→2009:ベルリンの壁崩壊20周年(6) ようやく式典編

まずはこちらをご一読下さい。→その(1)その(2)その(3)その(4)その(5)
こんなにだらだらと続くとは・・・



観衆に紛れたものの、人の背中しか見えない上に、音も聞こえない。
隣の人に「もう式典は始まっているのでしょうか?」と尋ねずにはいられない程です。(ちなみに答えは「ぼくも分からない。むしろ教えて欲しいよ。」)
「ここにいても巨人さん達にサンドされているだけで、何が起こっているのだか分からず終わる!」と思い、少し距離を取ることにしました。


→たどり着いた先:ユダヤ人慰霊碑。

ピクチャ-1-1

IMG_1842.jpg
ユダヤ人慰霊碑(2009年7月撮影)


ここはホロコーストの犠牲となったユダヤ人の方に捧げられた場所で、様々な高さの石碑の間を歩いたり、上に立ったり、座ったりと自由に作品を感じ、行為を考える場所です。
しかしこの日は普段と違うお役目。皆に観戦台として利用されていました。


091109ベルリンの壁10


私が立った位置からは、丁度ブランデンブルク門の側面と遠くのモニターが見えました。おかげでそこはかとなくは(←ポイント)式典の進行を把握することが出来ました。


IMG_2565.jpg



これでようやく落ち着いて見物できます。石の上は大変寒く、足の指が悴んで動かなくなってきましたが、ここまで来たら何とか最後まで居残ってやると一人胸に誓いました。

どうやらうろうろしている間に、式典は始まっていたようです。
しかし一番興味のあった参列者達の演説はばっちり聴くことが出来たので、この点問題無し。


091109ベルリンの壁11

今更ですが、メルケルさんの声は大変聞き取りやすく、また分かりやすい言葉を使われているので、私のような外国人にもよく内容が伝わってきました。
日本の演説って熟語やら故事成語が使われるので、こうはいかないのでは無いでしょうかね。

サルコジさんへのブーイングは、歴史的因縁のあるフランスだからなのか、彼の「お口」故なのか分かりません。多分後者じゃないかしら。
対照的にゴルビーには一際大きな歓声が上がっていました。

驚いたのはポーランドのワレサ元大統領とボン・ジョビの登場。
ワレサ元大統領は東欧圏の民主化運動の一番最初の流れを作った人物ですので、そう言った意味では彼がこの場にいるのは当然のことだと思います。
しかしそれだけではなく、あのドミノ石の最初の石を倒すのが彼だとは。
ポーランドから始まった運動の終着がこのベルリンの壁の崩壊であり、これはドイツだけの力で為し得たことではないのだ。そしてまたドイツだけにとって、意義あることでも無いのだ。
ワレサさんはそういったことの象徴として、この日在りました。

ボン・ジョビの登場に関しては数日前から明らかになっていたらしいのですが、そういったことをとんと確認していなかったので、てっきりドイツのアーティストが歌唱すると思いこんでいたのです。
ベルリンの壁解放式典の時には、スコーピオンズが参加しましたし。

ワレサさんといいボン・ジョビといい、他にも要所要所でドイツ人以外の人がクローズアップされており、これはあの当時あった大きな流れの中の局面であり、ぞれ故今回の式典もドイツというものにとらわれない世界に向けた祭典なのだと今更ながらに実感いたしました。

余談ですが、スコーピオンズはハノーファー出身のロック・バンドです。なので彼らの演奏が東ドイツの空に届いた最初のロックであるということは、ハノーファーの人々の自慢でもあります。




さて式典が始まってから2時間以上、いよいよ例のドミノ倒しです。
私も寒さのあまり、これ以上じっと立っていることが苦痛になって参りました。
最早足の指の感覚がない。
ドミノの壁を越えた対岸にある屋台でグリューヴァイン(ホット・ワインみたいなもの)を呑みたくて仕方がない。

だからドミノよ早く倒れておくれ!私を西側に行かせておくれ!

5、4、3、2、1、0!!



メルケルさんの目に涙が浮かんでいる気がします。
彼女はDDR出身です。


何度かドミノが止まって吃驚したけど、演出だったよ!
でも観客はそんなこと知らないから、もの凄い空気が凍ったよ!
私は一回で全部の石が倒れる演出の方が、潔いし緊張感があって好きです。(止めて何したのかと言えば、ドミノ石に描かれた作品の紹介)
まあ個人の好みはさておき、やっと「ベルリンの壁」が崩れたよ!


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[ 2009/11/21 21:00 ] ドイツの歴史 | TB(0) | CM(0)













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